2006年8月31(木)
太陽


お盆休みに「太陽」という映画を見ました。
昭和天皇を題材としており、日本では公開できないのではないかと言われた問題作です。

劇場は銀座シネパトス。
開演30分以上前に行きましたが、さすがにお客さんで混み合い、次の回はもうだめ。
当日は上映時間を1時間ほどずらして隣のシネパトス2でも「太陽」を上映しており、そちらの整理券をもらい、時間が来るまで銀座をぶらつきました。

整理券があっても立ち見が出る状況で、やっと取れた席も劇場の隅っこでした。
劇場の環境は最悪で、上映中数分おきに電車の走る音が鳴り響きます。
その上前の人の頭がスクリーンの下半分を覆い隠しています(笑)

電車の音を映画の効果音と間違えることもしばしばで、さすがにこれでは問題があると思います。
特に最近の重低音の演出を伴う映画の上映は無理がありますね。

ま、それでもこの映画を上映できただけ幸運と考えるべきでしょうか?




この映画の評価は非常に難しいです。

映画としては大した出来ではありません。
イッセー尾形は確かに怪演ともいえる素晴らしい演技でしたが、それ以外に目立った特徴の無い映画です。
演出もイマイチだし、構図も凝っている割には感心しないところがありました。
さらには製作者に日本語が理解できていない故の流れの悪さがあります。
その独特の間を「味」として見る向きもあるでしょうが、だからといって高い評価を与えるほどでもありません。

ただし、ここが重要なところなのですが、この映画が日本人の観客に与えたものは、かつて無いものかもしれません。
失礼な言い方かもしれませんが、日本人にはそれぞれの昭和天皇がいる。
崇拝する人、批判する人、肉親のように感じる人・・・いろいろな人がいると思います。
つまりこれは非常に身近な人のことを描いた映画なのです。
しかもその人が大変な思いをしている姿を見せられます。
だから様々な形で心に響くものがあるわけです。

僕は特に思想は持っていません。
しかしこの映画を見て、妙にリアルにあの時の空気を感じました。
映画自体は現実とはかなり違う雰囲気があるかもしれません。
しかし、あの時代を考え直す大きなきっかけになりました。

あの時、多くの日本人は戦争の責任を取らされることを恐れていました。
今思想家として元気な人も、実は陰に引っ込んでひっそりと隠れていたいた人が多いのです。
戦争中は命を捨てていますから勇敢ですが、一度助かるかもしれないと思うと、人間は急に臆病になります。

米軍に見られてまずい資料や書類はすべて燃しました。
昔僕をかわいがってくれた知り合いのおじいさんは、若い頃零戦の設計にかかわっていましたが、終戦の時、浜辺でその資料をすべて燃やしました。
撃墜王の坂井三郎も基地で書類を燃やしましたが、日記を燃すのを一瞬ためらい、それは取っておきました。
それが後の名著となるわけです。

みなアメリカ軍を恐れていました。
そりゃあそうでしょう。
広島や長崎、それに度重なる空襲であれだけの民間人を無差別に殺した人たちが乗り込んでくるわけですから、戦争に関与した男は全員死刑、若い女は慰みものにされてもおかしくないと思っていたわけです。

もともと日本人は、地下に潜んでレジスタンスとなって、長く耐え忍びながら戦うのは苦手です。
負けたとなったら、あっけらかんとしており、今度は敵に擦りよっていく人さえ出てくるのです。

当時子供だった年齢の人に、その時の様子を聞いてみると、とにかく信頼していた大人たちがすべて「敗者」になってしまったのですから、言い知れぬ不安の日々であったといいます。
このあと日本は、自分たちはどうなってしまうのだろう・・という不安。

ところがなぜか最高責任者である天皇陛下が許された・・・その時、心底ほっとしたといいます。
「ああ、自分たちは助かるのだ・・」と思ったというのです。

これが武将だったら、最高責任者はまず腹を切ることを選ぶでしょう。
それが日本の古来のやり方です。
しかし天皇家はおそらく考え方が違う。
いかに屈辱を受けようとも、家系と国家を存続させる・・という道を選ぶわけです。

多分その後の陛下の半生は、苦渋に満ちた日々であったと思います。
そして良かれ悪しかれ、米軍の国策として、トップの責任をあやふやにした事が、現在までひずみとして響いているわけです。

映画の中では、むしろ人間的な天皇陛下と神と崇める周りの人間とのギャップが何回となく描かれます。
この映画は、作品としての出来よりも、日本人に考えるきっかけを与えてくれた事にこそ価値があると思います。